2017年11月21日火曜日

熊野市紀和町の廃鉱山「千人間歩(?)」(→後記:千人塚)

昨日の探索。今回は三重県熊野市の廃鉱山「千人間歩(せんにんまぶ)」と思われる所へ出張探索です。場所は紀和町和気の付近。北へ数キロも行けば、紀州鉱山の遺構群がある所の近くでもあります。

「千人間歩」は各地にある坑道通称ですが、大体は昼夜交代で千人(くらい大勢)の作業員さんが入坑していた、ということから名付けられたと思います。しかし今回の場所は、過去に大きな水没事故があった為に名付けられた、と情報提供者さんから聞きました。

(千人塚だったっぽいです。記事最後に後日追記あり。)


林道を歩いて十数分、カーブを振り返ると……


 坑口が!これが千人間歩?かな?もっと大きい坑口を想像してた。岩がとてももろいです(||゜Д゜)


外側は高さ1,4mくらいの石垣が、


内側では2,3mくらいの深さに。もち垂直です。崩落した坑口にさらに石垣作ったな。坑内で怪我したら脱出不可になるトラップでもあります。


すでにシュリンケージみたいな香り。変わった坑口だな~。最初の4mほどのみ、長靴でOKな水溜まりになっています。


奥には上下2段に坑道が。上段はすぐ先で下段に合流して、上下に高い坑道を形成しています。そして左下には細長い竪坑、というより、今立っている地面そのものがシュリンケージに積もったズリのようです。

この先でも上段に坑道、隅に細長い竪坑、というパターンが数カ所ありました。


もちろんモフモフも。この他にお馴染みキクガシラも居ました。所々にコロニーがあって、かなり沢山居ます(^_^;)


これは……地下足袋っぽい。こういう遺物は生々しいです。


シュリンケージ→かがんで通る坑道→シュリンケージ→かがんで通る坑道、という繰り返しで、やがて支保工がある所に出ました。

ここから地面が一階層分下に下がっていて(というかズリが無くなって?)左後方と正面(イの字形)に分岐しています。


左後方は10mほどで閉塞行き止まり。向こう側から土砂が詰められていて、植物の根っこが出ています。ここが本来の坑口だと思います。分岐からここまでは枕木が残っていました(*^-^*)

最初に入ってきた縦長の坑口は恐らく、鉱脈に沿って掘るうちに外に貫通したか、現在の林道を作る時に岩壁を切ったら坑道が出てきたか、だと思われます。


分岐へ戻って正面の坑道を進みます。高さ2mほどの天井が坑木の足場でズリが乗っていますが、これならまだ安心レベルです(^_^)/
(※坑木は腐っていますが、やまたんの警戒センサーも腐っています(*´▽`*))


ちょっと進んで振り返った所。坑口方向から見ると、終始右上に向かって掘り上げられています。また、場所によっては鮮やかな赤色が目立ちます。


進むとまた狭い坑道に。背中丸めないと進めません。こ…腰が……(T_T)

写真の上端中央の緑色、銅が滲んでいるようです。美しい!そういえば円満地のコンクリ坑門にもあったな。


ズリにも緑色。もちろん元の位置に戻しておきました。次の見学者さんのためにも…って誰も来ないか(^_^;)


背中丸めたまま分岐が。正面にはトロッコの枕木も続いています。


分岐の右側はすぐ行き止まり、しゃがまないと進めない狭さでした。そして分岐点には……元祖はしご様!「雁木(がんぎ)」という、丸太を階段状に削った古いタイプのはしごですね。


生き埋めスイッチ」の一種を発見!(元ネタはブログ「南紀の山のどこかで」様です。ありがとうございますm(_ _)m)

ここまでダラダラと書いてきましたが、ほとんど分岐が無い一本道の坑道が、実際ダラダラと続いています(汗)


 スイッチのすぐ先にビンが。「わ~いビン(酒)だ~!」て駆け寄ると、スイッチの坑木に接触して天井が落ちてくるパターンですね。どこのベトナムだよ((((;゜Д゜))))

ビンには丸に点のマークと「DAINIPPON BREWERY CO LTD」のエンボスが。だいぶ古い酒。大日本ってことは戦前~戦後間もない頃かな?(後記:大日本麦酒のビールビン)


ここから崩落がひどくなってきて、少し先でほとんど埋まっていました。ここで引き返すことに。


カキカキ。左側は登りではなく右カーブを示します。坑木も足場も描いて無いおおよその図です。

事前情報では大きな水没事故があったことと、近くに慰霊碑があったらしいですが、水没区画も慰霊碑も見付けられませんでした。

しかし、改めて情報提供者さんに確認したところ、坑口の形はこれで合ってるそうなので、恐らく「千人間歩」だったと思われます。近く文献資料のコピーが届く予定。

「千人間歩」ならもっと古い(江戸時代とか)坑道のはずで、確かに古いはしごもあるし、でも枕木もあるし、よくわからんな~(´Д`)再開発で掘り直されたか?

円満地の資料を探す目的の紀和鉱山資料館も休館日と知った上での出張探索だったので、もう一度鉱山資料館へ行かねば!んで学芸員さんに聞いてみよう。


→後日追記:最近、情報提供者さんからもらったコピーによると「千人塚」と呼ばれる場所だったらしいです。間歩じゃなかった(^_^;)

以下抜粋。

千人塚

天瀬谷川を少しのぼると川岸の左側に洞穴が(欠落)坑口で今は人がやっと通れる程度である(欠落)下に向かって傾斜しているという。

昔は鉱石の精錬に多量の木炭を使用したが、天瀬谷奥は木炭の生産地であり、金吹きもしていたのであろう。

さて、そうした時代の事、何時もの様に多くの坑夫がカンテラの明かりで手堀し、運搬などの仕事中、坑口より川の水が流れ込み、逃げ場のない坑内の人々は悲惨な最期をとげた。後、此処を「千人塚」と云う様になった。

坑口の少し下流、道路の上に、この人達の碑がある。

抜粋以上。

確かに、埋められていた本来の坑口は低くて川の方に向いていましたが、傾斜はそんなに無かったような。この地域はまた探索しないとですね~。

0 件のコメント:

コメントを投稿